6.編集後記
4月の「日本製鉄名誉会長・三村明夫 私の履歴書」の中で(14)ゴーン・ショックの部分が気になった。当時は多くの伝統的な日本企業が脅威を覚えたことを思い出す。フランスから青い目の経営者がやって来たと騒いだマスコミも多い。筆者も同様に当時、伝統的な企業に勤めていた関係で日々起こる日産自動車の資材購買の動向を注視していた。今から思えば、当時ほどマスコミで購買調達業務が注目を浴びた時はなかったのではないだろうか。サプライチェーンという用語が動き出す少し前だった気がする。記事では『ゴーン改革が始動した直後の1999年秋、日産自動車の銀座本社に出向くと、先方の小枝至副社長が「鋼板サプライヤーを集約したい。ついては、御社のシェアを倍増させるので、鋼板価格を引き下げてほしい」と単刀直入に切り出した。私(三村明夫)は「弊社をメインサプライヤーとして選択頂き感謝申し上げる。但し、極めて重大なご提案であり、社内でよく議論してからお返事したい」とだけ答え、面談を終了した。』とある。
実際はもっと生々しいがパリから来た新経営者は自社の購買部を標的に日本の商慣習としがらみを一気に取り払おうとした。これができるのは外国人だけであろう。商慣習を知らない、知りたくない、欧米流に変えようとする外国人の意識は強い。しかも当時、同社は倒産寸前の瀕死状態だから社内で何を言っても通る。得意の英語(訛りはあるが)をフルに発揮して大声を張り上げると外国語に苦手な日本人役員(例え英語ができても)は皆黙ってしまう。そういう日本人の心情、文化も理解した上で成田に上陸したのだ。
留学時代の筆者のごく親しいフランスの友人が当時話してくれたことがある:ルノー社から多くのフランス人社員が日本駐在を命ぜられた時のことを思い出す。友人は赴任前の社員全員を集めて「日本講義」をしたと言う。つまり、同氏も少し日本のことを知っていたので若干大袈裟に日仏異文化論をぶち上げたそうだ。当時、平均的なフランス人は日本という極東の国を殆ど知らなかったから駐在を嫌がり退職した社員も少なからずいたと聞く。何としても数を集めるべく家族手当や駐在・休暇手当などを手厚くして説得したらしいが辞める人も多く、止む無く社外募集までしたらしい。或る人は極東に憧れて高校の数学教師を辞めて応募し採用されたと言う。つい三十数年前のことであるが、欧州人から見る日本は、距離だけでなく精神的にも相当遠い存在だったのである。一般にフランスではほぼ全ての夫婦が共働きである。一方が海外駐在となれば他方は現勤務先を辞めて一方について行くしかない。フランスには、単身赴任という選択肢はないに等しいため、実際に離婚騒動にもなりかねないのが現実だ。社命は通じない。個人主義の徹底から日本のように会社人間はいない。個人の人生設計を会社から妨げられるのを最も嫌うからである。件の友人は日本的であったため離婚せず単身を選び順調にキャリアを積み上げた。単身とは言え年に60日以上の長期有給休暇と度重なる本国出張で事なきを得たようだ。日仏、日欧の企業間異文化の相互理解はまだまだ遠いのだろうか。
以下余白
月報編集室:主筆 上原 修 CPSM, C.P.M. JGA