2025年1月報告

6.編集後記

日本人の「外交ベタ」っぷり、実は「日露戦争」の時点から殆ど変わっていなかった、という記事を年末に読んだ。

特に、外交官は、外国と良好な関係を築いていくことが重要な任務であり、相手国の政府や外交当局に働き掛けるだけでなく、相手国の国民に対しても積極的に働きかける必要があると思う。いわゆるPublic diplomacy(脚注)は、伝統的な両政府間の外交とは異なり、広報や文化交流を通じて、民間とも連携しながら、外国の国民や世論に直接働き掛ける外交活動とある。そして、今こそパブリック・ディプロマシーの時代だが、残念ながら、現在の外務省に最も欠けている要素だろう。外務省は、自国メディアは当然のこと、他国のメディアに対する意識をもっと高めなければならない。そうなるとやはりメディア対策、すなわち現地のテレビに出演する、新聞に寄稿する、シンクタンクで発言するといった手段が益々求められよう。つまり、相手国のメディアに働きかけなければ、パブリック・ディプロマシーなどできないからだ。

パブリック・ディプロマシーで敗北した大日本帝国について、第二次世界大戦において日本が対米開戦を避けられなかったのは、正にそれで負けてしまったとも言えよう。欧米側が綿密に対日参戦の計画を立てていたという背景もあるが、それよりも寧ろ日本がパブリック・ディプロマシーで敗北したと言える。その背景には、中国で布教活動を行ってきた米国人宣教師の「中国寄り姿勢」もあれば、「当時の貧しい中国への同情」も米国社会にあったと、元外交官のGeorge Frost Kennanが生前指摘していた。

さて、現下の石破外交はどうか。これまで総理は外交の経験がないためマスコミでも揶揄されることが多いが、過去にいくら外交経験があろうとも言語は兎も角はっきりと国家運営を語ったトップはいないと言える。ここは、経験でなく自身の意志で日本国の道筋を述べてもらいたいと思う。

注)Public diplomacyパブリック・ディプロマシー 公共外交のこと。自国の対外的な国益と目的の達成のためにおこなわれる外交活動の一種で広報文化外交、広報外交、対市民外交とも言う。国益のために国家が意図を持って行うプロパガンダ(広報戦争)のことで、従来の外交活動とはその対象が異なることから区別されている。一般的にはソフトパワーと関連付けられ論議されることが多いが、ソフトパワーと公共外交を単純に論ずることに問題があると言われている。

ここに一つの歴史的快挙というものがある:1930年2月の総選挙で山口県第二区から出馬し、衆議院議員に当選した松岡洋右は、政府の「軟弱外交」を非難する論客として知られていく。その松岡が、国民的英雄に祭り上げられたのは、1932年12月8日の、満洲国建国を承認するか否かを論じていた国際連盟総会における演説、いわゆる「十字架上の日本」演説である。英語力と物怖じしない交渉力を買われたか、日本の首席代表としてジュネーヴに派遣された松岡は、およそ1時間20分におよび、原稿なしで、日本弁護の論陣を張った。満洲事変を起こし、傀儡国家の樹立をはかっていると非難されるけれども、日本の願いは国際正義が守られることのみと唱えた。つまり、同氏は英語力と原稿なしの論陣が過去にない日本人を演じたと言える。結果は読者の知る通りとなったが、しばしばNHKなどに出てくる映像を見るにつけ、こういう日本人もいたのだなあと常に思う。

以下余白

月報編集室:主筆 上原 修 CPSM, C.P.M. JGA

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