3.おわりに:
新年1月からNHKの大河ドラマが始まった。従来の戦国時代でなくかなり遡る時代考証だ。そこで「源平藤橘:げんぺいとうきつ」という言葉を思い出した。日本史の中で、奈良時代以降に繁栄した氏族である源氏・平氏・藤原氏・橘氏の四氏のことを指す呼び方である。この源平藤橘をはじめとする「氏うじ」は、日本の現代人にとって殆ど馴染みがないものに変わっている。「氏」は日本人の民族性の根幹ともいえる要素であり、日本人の源泉の大半は必ずこの「氏」に辿り着くことになるらしい。自分は何者なのか、何故日本人なのか、を知る上でも再確認しておきたいことだ。源平藤橘とは、日本で代表的な「四姓」のことを言い、古代~平安時代に、天皇から臣下に対して、与えられた「氏姓(うじかばね)」がルーツとなっているそうだ。源平藤橘の四姓について次のようになる:
源氏 中国の古書『魏書』より「源を同じくする…」にちなむ
平氏 桓武天皇が遷都した平安京の「平」にちなむ
藤原氏 大和国藤原(現:奈良県橿原市の地名)
橘氏 杯に浮かんだ橘にちなむ
四氏を簡単に整理する:
- 藤原氏:四姓のうちもっとも古いのは藤原氏で、天智天皇を援けて蘇我入鹿を倒して大化の改新を実現した中臣鎌足に始まる。
- 橘 氏:橘氏は敏達天皇を太祖とする氏族で、元明女帝に仕えた県犬養三千代が橘宿禰姓を賜り、 三千代と敏達天皇の皇胤美奴王との間に生まれた葛城王が臣籍に列し橘諸兄を称した。のちに諸兄は橘朝臣の姓を賜与され、 子孫は橘姓を称した。
- 平 氏:平氏は桓武天皇の皇子葛原親王の子高棟王・高見王らが臣籍に下って平朝臣姓を名乗ったことに始まる。
- 源 氏:四姓の内、最も新しいのが源氏で平安時代前期、嵯峨天皇が皇子に源姓を与えて臣下に降したことに始まる。
ここで、何故、征夷大将軍を持ってきたかと言うと、子供の頃、征夷大将軍になれるのは、源平藤橘出身者だけということを聞いたことがある。また、ある説に依れば、皇族と源氏だけが征夷大将軍になれるとも言われ、従って、征夷大将軍になるには相応な家柄が条件になることから、「百姓出身の秀吉は『征夷大将軍』になることができなかった」という説も囁かれている。源氏誕生以後は、皇族と源氏しか征夷大将軍になれない、というのがどうやら真実であるらしく、平氏を絶対に征夷大将軍にはしないという背景があるとも言われる。説は様々なようだ。
1192年、武家政権を創始した源頼朝は、征夷大将軍の称号を望み、朝廷はこれに任じた。それ以降675年間にわたり、武士の棟梁として事実上の日本の最高権力者である征夷大将軍を長とする鎌倉幕府・室町幕府・江戸幕府が続いたのは誰もが知るところだ。続く慶応3年徳川慶喜の大政奉還を受けた明治新政府が王政復古の大号令を発し征夷大将軍職は廃止されたのである。
別の観点から大河ドラマを見るのも楽しいかも知れない。
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