2024年8月報告

6.編集後記

本誌執筆中、パリ五輪が開催されている。筆者が少し経験のある柔道について考えたことを記したい。テレビ放映でウクライナ人選手を久しぶりに見た。その柔道家の名前は、ダリヤ・ヘンナディイヴナ・ビロディト(Daria Hennadiyivna Bilodid)である。ビロディドは、ウクライナのキーウ出身の柔道家で今は57kg級の選手だ。史上最年少の17歳345日で世界チャンピオンに輝き、2019年世界柔道選手権東京で優勝している稀有な柔道家だ。しかし、今回のオリンピックでの畳の上のビロイドは、以前とは全く違って見えた。それは、母国の惨状で、多くの同国民が亡くなっている状況下で自身が全国民を背負って畳に立っているのが彼女の表情から見て取れた。そして、参加した階級で日本人選手に負けて退場する後ろ姿が何とも耐えがたいほど寂しそうだった。考えるにビロディドは勝ちに拘っていなかったのではないか、勝ったところで今の母国の惨状を変えられることもない、またウクライナ国民がテレビを見て喜ぶ人も少ないであろうと。単なる推測だが、以前の最強であった柔道家がいとも簡単に畳を後にした姿に戦争のむごさを感じた。筆者が昔、フランス政府の留学生として1年間住んだ街では「黒帯」と言うと近隣から多くの若者や子供が集まってきたのを思い出す。当時、フランスは、まだ柔道の発展途上国で田舎町では、黒帯が珍しかったのか小さなマスコミが取材に来たほどだった。報道に依ると今や世界でも有数の、いや世界一の柔道大国である。

今回の五輪では、パリ市が主催地であり、柔道場は、シャン・ド・マルス公園(Parc du Champ-de-Mars)に隣接された「グラン・パレ・エフェメールGrand Palais éphémère」の名で知られるシャン・ド・マルス・アリーナにて柔道競技が行われた。この柔道大国フランスで行われたオリンピックでは、最終日まで同国に柔道の金メダル勝者がなく、36年前のソウル五輪での日本の柔道を思い起こさせた。筆者の記憶する限り1988年のソウル五輪で、日本柔道はかつてない危機を迎えており、95キロ級まで6階級を終えて金メダルが無かった当時を彷彿させた。

話を戻すと、近代オリンピックの父と呼ばれるフランスの教育者ピエール・ド・クーベルタン男爵は、オリンピックの精神とは「スポーツを通して心身を向上させ、さらには文化・国籍など様々な差異を超え、友情、連帯感、フェアプレーの精神をもって理解し合うことで、平和でより良い世界の実現に貢献する」と唱え「オリンピズムの根本原則」に引き継がれている。同男爵は、相手を尊重し合うフェアプレーの精神が、世界の人々を結びつけるとの理想を抱き、スポーツによる平和運動を提唱し、五輪憲章にも「平和でより良い世界を作ること」が目的だと記している。しかし、IOCのバッハ会長の6月声明 『対立や分断、両極化に直面する中、五輪休戦はかつてなく意味を帯びており、パリ五輪は、戦争と危機の時代でも平和に団結できることを思い起こさせてくれるだろう』という言葉も虚しく、五輪中の停戦は実現しなかった。更に、主催国マクロン仏大統領もオリンピック期間中、ウクライナや中東など全世界で戦闘停止を求めることを提案していたが、全く効力がなかった。寧ろ、自身が招いた政治不信の方に神経が向いていたとしか思えない。誤審、汚染、空調、ジェンダー問題など色々な意味で課題を残したパリ五輪になるような気がする。

以下余白

月報編集室:主筆 上原 修 CPSM, C.P.M. JGA

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