3.おわりに
エジプト北東部のスエズ運河で日本企業所有の超大型コンテナ船「エバーギブン」が座礁した事故で、1週間に及んだ救出作業費や通航停止による運河側の損失といった巨額費用を誰が負担するのか注目されている。所有会社の正栄汽船が船にかけた保険が直接被害分を補償するとみられるが、原因調査後の決着までには時間がかかりそうだ。スエズ運河庁は、今回のエジプト側の損害と救出費の総額は約10億ドルとの見方を示す。このニュースを聞き、まず思いついたのが海洋法に関する国際連合条約(United Nations Convention on the Law of the Sea)である。昨年のクルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」の横浜沖での大規模感染からクルーズ船の感染症対応では国際ルールの不備が浮かび上がったのも記憶に新しい。乗客乗員3711人の2割に当たる712人が感染し、13人が死亡した。前例のない豪華客船でのアウトブレーク(突発的集団発生)であった。国籍を見ると、ダイヤモンド・プリンセスは英国船籍で、船会社は米企業、多国籍の乗客もさることながら乗員の多くが多国籍であったこと、海上を航行し、多くの国に寄港するため国際法を熟知していないと十分に対処できない。クルーズ船の集団感染を巡っては、国際航路を行き来する客船の感染症対応について、どの国が責任を負うべきか国際ルールの不備も明らかになった。国際法上、感染症対応に関して責任の所在があいまいになっていた。
国際海洋法は、戦前の有事(戦争など)の際に重要な法律であるが、有事の経験のない戦後の日本では学者や専門家以外に十分知られていないものだ。上記の国連海洋法条約は、2019年4月末現在、168の国・地域と欧州連合が批准しているもので、国際海洋法において、最も普遍的・包括的な条約、基本条約であるため、別名「海の憲法」とも呼ばれている。スエズ座礁事故も多くの利害関係
者が舞台に登って来る。まさに有事と考えれば国際法で話し合うのが自然なことで、政治が関与することはないはずだ。
明治27年7月25日、朝鮮半島中部西側の豊島沖で、日本海軍連合艦隊の軍艦3隻が清国海軍北洋艦隊の軍艦2隻と遭遇。宣戦布告を待たずに砲撃戦が交わされた結果、北洋艦隊の1隻が白旗を掲げながら逃走、残りの1隻は浅瀬に乗り上げて座礁、自沈した。この海戦の最中、清国兵を満載した英国商船が近づいてきた。日本としては厄介な事態だ。清国兵を通すわけにはいかないが、うかつに対応すれば世界最強の海軍国、大英帝国を敵に回しかねない。この難局の処理にあたったのが、浪速艦長の東郷平八郎だった。東郷はまず、商船を停船させて将校を送り、同船が英インドシナ汽船会社代理店所有の「高陞号」であること、清国兵1,100人と大砲14門を朝鮮・牙山港へ輸送途中であること、船長の英国人は日本側の指示に従う意向を示していることを確認すると、手旗信号で指示した。「錨ヲ揚ケテ本艦ニ続航セヨ」
だが、高陞号の船長は従わず、重大事態が発生したので面談したいと返信してきた。東郷が再び将校を送って調べさせると、船長以下英国人乗員は清国兵に脅迫されており、すこぶる不穏な様子である。
東郷は船長に、英国人は海に飛び込み船から離れるよう指示した。最初の停船命令から既に4時間近く。事態はいよいよ切迫してきたが、浪速の艦橋に立つ東郷は、高陞号の清国兵が刀剣をぬき、銃を構え、制御できない状態であるのを見て取ると、赤一色のB旗を掲げた。「危険ナリ」を示す国際信号旗だ。この旗が軍艦にひるがえれば、その意味は一つしかない。しばしの猶予を与え、東郷は言った。
「撃沈します」
時に7月25日午後1時46分、浪速の砲撃を受けた高陞号は沈没する。その直前に海に飛び込んだ船長ら英国人4人は救助され、清国兵の多くは射殺、もしくは水死した。日本の軍艦が英国の商船を撃沈したとの一報は、当初は日本政府を動揺させ、英国世論を激高させた。だが、東郷の措置が国際法に則ったものであることが分かると、英国世論は沈静化し、日本側は手のひら返しで東郷を称賛した。国際法はこれほど重要且つ尊重されるものなのだ。
月報編集室:主筆 上原 修 CPSM, C.P.M. JGA
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